川東の忘れ得ぬ人:『おとねさん』の思いで 三輪元一著 |
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雪が降ると思い出す七十年以上も前の頃。其の頃はよく雪が降り、毎年大雪に見舞われた。村の殆どの |
人は山に入り炭焼きをして稼いでいた。他に土方仕事や材木出しに出る者もいた。冬早く雪が降ると、此 |
れが根雪になって、春雪の消える迄山仕事はお手上げの状態となる。毎日家の中で藁仕事位しか出来な |
い。寒いから竃の前で焚火をして暖まり、乍ら隣同志や友達が集まり世間話しに花を咲かす事になる。雪 |
で物売りも来ない。毎日味噌汁に漬け物だけの食事が続く事になる。たまに鮒や鯉等が手に入れば、味噌 |
焚きや鯉汁となりこれが最高の珍味であった。
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元日が過ぎ、一番始めに来るのが伊勢大神楽の松井加大夫の一行で、四日頃には必ず回って来たもので |
あった。十人位の一行で、一番子どもに人気のあるのは道化親父と言ってサーカスのピエロの様な者であ |
る。 |
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神楽が村の入り口にさしかかり、笛の音が聞こえるようになってくると、村で一軒の店屋の女主人、お |
とねさんの出番である。おとねさんは村の中を走り回って志金を集める。其の間に神楽は一軒づつ回っ |
て、家々の悪魔を払う神楽を舞い歩く。其の時各家ではいくらかのお金に白米を副えて出し、御苦労さん |
と労らいの言葉をかけるのである。 |
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其の後が楽しみで、おとねさんの集めた金の多小によって何処かの家の庭で幾つかの芸を見せて来れ |
る。棒突き、茶碗積み、特に人気の有ったのは天狗の面、らんぎょく、これはおやまさん道中と云う。神 |
楽の舞いでは鈴の舞、四方の舞、吉野の舞、剣の舞、神来舞等この中から幾つかの芸を見せてくれ、其の |
頃の大人や子供達の大きな楽しみで、神楽の来るのを指折り数えて待ったものであつた。 |
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神楽も帰った後は、相変らず次ぎから次ぎと降る雪に野も山も村も白一色である。そんな時、よくまわ |
つて来たのが旅回りの万才師や浪曲師であつた。ポンポンと鼓の音が村の中に入ってくると、神楽の時と |
同様、店家のおとねさんの出番となる。今度もおとねさんが一切の世話をする事になる。 |
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おとねさんは村の何処かの家を芸宿に頼む。頼まれれば皆心よく引き受けるが、おとねさんの頼む家は |
何時も人の集まり易い所である。食べ物は雪の中のことゆえ、ほんの有り会わせでよい。時にはおとねさ |
んが自分の店の材料を持って来てくれる事もある。とにかく一切おとねさん任せである。 |
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晩近くなると宿の家では総ての部屋を開放する。隣近所から石油ランプが幾つも集められる。上向き、 |
下向きとランプの種類も多い。座敷は舞台になる。俄か作りのどん張も下る。やがて夜になり楽屋の室か |
ら鼓や三味線の音が聞こえてくると、老若、男女を問わず村の人は宿に集まってくる。忽ち宿ははちきれ |
んばかりの大入り満員となる。其の頃よく来たのは、万才では旭、長丸、東、八重子、浪曲では吉川登 |
若、京山桃若で、毎年の様に訪れた。 |
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登若の天保水湖伝、桃若の左甚五郎が一番人気の有った出し物で、時には続き続いて二晩も三晩もやっ |
たものであった。万才の方は三河の御殿万才もやるし、今の様な掛け合万才も、時には、にわか芝居もや |
った。幕の合間にお盆が回る。木戸銭の代わりであるが、出さなくても何も云わない。お志しであるかち |
思い思いに二銭、三銭、五銭位であるが、たまに五十銭の祝儀をはずむ人もあった。 |
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こうして集まった金から宿に若干の礼をし、残りが芸人の収入となった。多くても少なくても文句無し |
で、総ておとねさん任せで行われた。電気もラヂオもテレビも無く、又新聞も読まない半世紀も昔の事ゆ |
え、米若や虎造、又いとし、こいしより、これらの身近な芸人の方が名人に思えたのである。 |
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このように一度世話になつた芸人は、翌年からは来るとまずおとねさんを訪ねる。こうして世話にな |
る、男勝りで世話好きでこんな奇特な人おとねさん、まこと本名『田中そね』。なんでも間に合う村 |
の百貨店の女主人で、産婆の心得もあり多くの人がこの人に世話になっている。 |
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夏になると、裸で腰巻き一つで暮らした川東の名物婆さん、川東の忘れ得ぬ人『田中そね』さん。 |
こんな人は二度と川東には出ないだろう。 |
三輪元一 著 |