むかし、一之瀬では大日照りがあると、川東のさこさ(沙古佐)谷の奥、さらに二の枝谷の奥、折戸(おりと)の右上に見えるあまご岩(雨乞岩)へ、雨乞いの願をかけたといわれていますが、そのようすを伝える人はもういなくなりました。
 
 江戸時の終わりから明治、そして昭和のはじめまでは、三ツ岩(人々はみつ岩さんと呼んでいる)へ願をかけに行きました。
 
 一之瀬と和田の境の尾根を、ずーっと登り切っただいもち谷の一番奥に、そそりたった大きな岩が三つ突き出てきます。日照りがいく日も続き、田の水が枯れてくると、一之瀬の人々は、牧田の門前から踊り子を頼んできて、常法寺の庭で雨乞い踊りを奉納した後、長い行列をつくって和田尾根を登りました。
 
 途中、「おどりこば」でひと休みし、人々はここで女の人の髪の毛を燃やしました。これは笙ヶ岳に住む竜を怒らせるためだともいい、においをかぎつけた竜が、雨雲を伴ってやってくるためだとも伝えられています。

 さて、三つ岩のふもとまでたどりついた人々が、祈りの経文を一心に唱えて、山を降りるあたりから雨雲が広がり始め、ふもとへ帰る頃にはさしも数十日の日照りも、うそのように大粒の雷雨になったということです。

大日照りのときの雨乞いの儀式の様子の言い伝えです。

川東 昔ばなし
落ち武者のたたり